DVモラハラ夫からの昼逃げ日記

DVモラハラ夫から子どもたちと一緒に昼逃げしました。

DVモラハラから昼逃げを決意したらやるべきこと

昼逃げを決意してから実行までに1年かけて準備をしました。

準備すべきことを私の経験からお伝えします。

1.DV、モラハラを受けているという相談実績をつくること

県や市に女性相談室、DV相談室などの名前の相談期間がありますので、相談することをおすすめします。

殴られた、蹴られたなどの暴力を受けた、精神的な苦痛をうけ続けている。診断書もあるとなると話はスムーズです。

名前を聞かれるので、躊躇するかもしれませんが、記録に残るので伝えたほうが良いです。私は1回目躊躇して言えませんでしたが、その後の手続きでのDV証明が必要になったときに名前と相談実績があることが助けになりました。

私の場合は、対面での面談も行いました。話すことさえ、色々と思い出されて辛いですが、相談室の証明書のおかげで助かったのでやはり行って良かったと思います。

2.生活するための資金力をつけること

子どもが産まれてから、一時期は扶養を外れて働いていたこともありましたが、モラ夫は私に働け!というわりに、扶養の手続きが面倒だ!と逆ギレしていました。

第3子出産後は扶養内で働いていましたので、当然、扶養内の月収入では家賃を払って3人の子どもを育ててはいけません。最低でも月30万円、欲を言えば40万円は欲しい。

それを叶えるために、在宅で持続的に安定した収入が得られる仕事を探し、自分の限界まで仕事を受け続けました。そうして、月30万円の収入は達成することができ、なんとかやっていけそうだという目処が立ちました。

幸い、自分名義の通帳には結婚前の貯金もありました。

結婚後の財産はたとえ自分名義の通帳であっても夫婦のものとみなされ分割されますのでご注意を。

我が家はモラ夫が家計に無関心、銀行で手続きひとつまともにできなかった(面倒くさがる)ので、私がすべてのお金を管理しており、学資保険の他にも子ども名義で貯金をしていました。後に調停で、子ども名義のものは子どもに使うという言い分も通ります。

3.財産整理、保険の名義変更と解約

モラ夫と一緒にいる今じゃないと解約や名義変更できないもの(相手方のサインがいるもの)をすべて手続きしました。

モラ夫名義の保険は私と子どもの分だけ解約。学資保険は私に名義変更。離婚前の1年間、モラ夫とは一切会話がなかったので、書類にメモをつけて置いておき、書いてもらうという方法を取りました。

4.新居を探す

DV相談室に電話するとすぐに市外に出るように言われます。

でも、子どもが小学生以上の場合はそんな簡単に市外に引っ越しできるものでもありません。命の危険がある場合は、すぐにでも遠くに逃げることが必要です。

ですが、今すぐ命の危機はなく、子どもの環境を優先させたかったので校区内で探しました。

二人で払っている家賃を一人で払うことになるので、住むところのクオリティは落ちます。それでも、モラ夫がいないだけで幸せになれる。モラ夫に気づかれないように、家探しを進め、子どもたちにも内見してもらい、みんなが気に入ったところに決めました。

条件を満たす家がなかなか見つからず、6ヶ月探し続けました。敷金等、最初にまとまったお金が必要になるので、用意しておきましょう。

郵便局に郵便物の転送願を出すのも忘れずに。

5.引っ越し準備

昼逃げ最大の難関が引っ越しでした。モラ夫に気づかれてしまっては、出ていくのを阻止されるかもしれないので、荷物をまとめられるのは当日モラ夫が出勤してからでしか行えません。

住んでいた家の家電はもう14年たっていたので、すべて新居用に新しく買って事前に運びこんでいました。ちょうど引っ越しシーズンと重なったため、希望していた収納やテーブルが品切れで、当初の予定より少々お高く付きました。

布団などもすべて新居に用意し、持っていくものは最低限にするつもりでしたが、子ども3人となると、思ったよりもものが多く、モラ夫に気づかれないようにクローゼットの中のものは少しずつ運んでいたものの、当日2トントラックいっぱいに。費用が高くてもすべておまかせパックにすればよかったと後悔しました。とにかく当日引っ越しは人手がいります。必要なものだけ運び出し、あとは全てそのままおいてきました。

しかも、近所の人にも気づかれないようにでていく必要があったので、無地トラックで来てもらえる引っ越し屋を探しました。

6.置き手紙

モラ夫はいつものように帰ってきたら荷物や子どもたちがいない状態です。さすがに無関心のモラ夫も気づくだろうと思い、警察に捜索願いなどを出さないように置き手紙をしました。

離婚を前提に子どもたちを連れて別居するから探さないでと。こらが危険や恐怖を感じたら警察に通報すると書き残しました。

無事に新居に移ることができました。

一切モラ夫から連絡が入ることもありませんでしたが、やはり、最初の1ヶ月は子どもの連れ去りが怖くて、毎日学校まで送り迎えをしました。学校に事情も話してモラ夫の連絡先は消し、私のみに変えました。

ここから大変なのが書類関係です。別居してても、籍が入ったままだと色々かなり面倒です。次は書類関係のお話をしたいと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

DVモラハラ夫の定番セリフ&行動

モラハラ夫からなんで早く離婚しないの?の答え

だんだんと麻痺してきます。

当たり前の日常になってくると、抜け出せなくなります。

私さえ我慢すればと耐えているうちに、自己肯定感は下がり、私が悪いからとある種の洗脳のようになっていくのです。

この行動もDV・モラハラなんだ、そう気づく方が増えるように、

私が経験したDV・モラハラの定番セリフ&行動をお伝えします。

DVモラハラ夫。違和感の始まりは出産後

この人こんな人だったっけ?

と思い出したのは、第一子が生まれてから。

それまで、夕飯の準備が遅れることがあっても、

「俺がするよ」

「何か買ってこようか」

という言葉でした。

 

しかし、子どもが生まれてからは、

「俺のご飯は?」

「子どものことばっかり優先して!俺のことは?」

と言い出したのです。

「え?」と違和感を覚えました。

 

DVモラハラ夫の定番セリフ&行動

思いつくままに連ねます。

  • 頼んでも避妊をしてくれない
  • 家庭の状況も把握せず「早く働け!」と言ってくる。
  • 子どものことは気が向いた時に相手をするだけ。
  • 何かに付けて「オレのお母さんは自分を犠牲にして今まで生きてきたんだ」
  • 家計の話になると「俺の金や!」「俺の給料が安いって言うんか!ならお前が働け!」と怒る
  • 話し合いをしようとしても「俺をバカにしてんのか!」「上から目線でしゃべるな!」と怒鳴る
  • 子どもが熱を出しているから義実家には帰れないと言うと「オレの親を馬鹿にすんのか!」と怒り出す
  • 子どもの病気で休みが続き、1日だけでも変わってもらえないかと聞くと「何のためのパートやねん!」と逆切れ。
  • 常に機嫌が悪く、話しかけると切れるので話し合いはできない。
  • いつも私が相談したことは真っ向から否定。
  • 助言は「○○するしかないやろ!」の一択。自分は一切動かない。
  • 子どもが病気のときは自分が出勤できるかに必死で子どもに尋問する。
  • 「おまえは正社員では働けない、ダメな人間だ」とパートを馬鹿にする
  • 病児シッターをお願いしようとしても「オレの家に人をあげるな!」と拒否する
  • 「母親が夜に出かけるとかふざけてるのか?」と職場の歓迎会も出させてもらえない
  • 自分は一切掃除をしないのに「おまえがちゃんと掃除をしないから子どもが喘息になった」と責める
  • 「俺が満足する家を見つけてこい。2つに絞ってきたらどっちか決めてやる」と1歳、3歳の連れて行けという。
  • 家計には無関心。自分の娯楽を制限しなければならなくなると察すると「もっと働け!」「お前は一切金を使うな」「お前は楽をするな」と言う。
  • 子どもと出かければひどいけがをさせ「ケガした」不機嫌に言い放ち、逆切れしてくる。
  • 子供の体調がおかしいから病院に連れて行くと言っても「大丈夫や!」と行かせない。振り切って行くと即入院。
  • 仕事と育児の両立で行き詰まり、に助けを求めても「俺に迷惑をかけるな!」。
  • 私が本当に潰れて泣き明かしていると「なに泣いてるん?」とバカにしてくる。
  • 「おまえとは歩きたくない」と私との外出を拒否するため、家族でお出かけができない
  • 「おまえとは食卓を囲みたくない」と家族みんなでご飯を食べる経験ができない。
  • 甘いものが嫌いだからと子どもの誕生日ケーキでのお祝いに参加しない。
  • 話しかけても無視する。
  • 家の中で私の姿を見ると睨みつけて舌打ちしてくる。
  • ドアを大きな音を立ててわざと閉めて威嚇してくる
  • コロナ禍で私の実家が困っているのに行かしてもらえない
  • 夫婦でお世話になっていた方にご不幸があっても何も教えてくれず、自分だけお葬式に参列する
  • まだ一人で留守番できない子どもを一人で残して出かけ、子どもがパニックになっていても気づかない。
  • 子どもができないことの練習を強要し、トラウマをつくる。
  • 朝から晩までゲーム、でも子どもがゲームに触ると切れる
  • 子どもが待っているのにトイレもお風呂も変わらない
  • 子どもたちにまで「お母さんのことが嫌いだから一緒にいたくない」と言い出す
  • 切れると体当たりしてきて、壁にぶつけられる

モラ夫の非常識行動

  • お風呂に入っても、朝起きても、顔を洗わない。身体も洗わない
  • トイレに行って洗っていない手で料理をして、食材をべたべた手で触る
  • 塩辛いもの、刺激物を好み、子どもが食べるものにも加減なしで自分の味覚を押し付けてくる
  • 道を歩いていたときにモラ夫の目の前でお爺さんが倒れ、少し離れて歩いていた私も含めて周りの人が慌てて駆け寄ったのに、モラ夫は知らん顔。「気づかなかった」と言い放つ
  • 育児方針、何にも考えていない
  • 自分で手続きは何一つできない
  • 話を聞いてくれないからモラ夫には伝わらない。その様子を見た義母は、モラ夫づてに私に「あなたの話の9割は相手に伝わっていません。」という本を渡してくる

義母はモラ夫が私につらく当たっているのを目の前で見ていても「まあまあ」と笑うだけ。父親が会長や院長でビジネス上敬語で接さなければいけないわけではない普通の一般家庭だが、子どもたちは父親に敬語。父親は食事の前に「箸を置け」など、思えば義実家自体の違和感は最初から感じていたのに、深く考えなかった私が悪い。

 

モラ夫からの昼逃げを決意した心情

毎日毎日モラ夫と同じ空間にいるだけでも息苦しく感じ、ドアがガチャっと音がするだけ動悸がするようになってきてから数年後、子どもたちを連れて昼逃げしました。

 

母を嫌う、睨む、無視する、体当たりする、怒鳴る姿を子どもに見せる。

殴る、蹴るをしなくてもこれはDVです。

上記内容と同じような経験がある方、県や市のDV相談室に勇気を持って電話してみてください。私も最初は怖かったです。DVと認めることが。

でも、思い切って電話することで変わることもあります。

まずはおかしいと思ったら誰かに話してみることが大切だと思います。

 

 

DVで離婚を決意した日

DVモラハラ夫から逃げられなかった理由

アルコールが入ると殴る、蹴る、髪の毛をつかまれて引っ張られる。

妊娠中にお腹を蹴られ、次の日、離婚届を市役所に取りに行きました。

離婚届を書いてほしいというと、怒りながらサインしてくれたのですが、のちに離婚届を隠されました。

 

結局は私が弱かったのです。出産後、3人の子どもを育てながら働くのは無理だろうと経済力に頼ったのです。

私が留守のときに、酒を飲まない約束はすぐに破られました。

モラ夫はオレは飲んでない、と逆ギレします。

飲んだのは明らかなのに。

 

3人目が出産後に加速するDV.モラハラ

そして、3人目が産まれてからモラ夫の行動はさらに加速していくのです。

ある日、また殴る、蹴る、壁にぶつけられる。肋骨に蹴りが入りました。

意を決して次の日、整形外科に診断書を取りに行きました。

それから、隠された離婚届を探し出し、診断書と一緒にモラ夫に突き出しました。

それから数日間、モラ夫は家に帰ってくると憔悴しきって泣いているのです。

もう酒を飲まないと泣いて誓約書を書いたモラ夫。

私は不覚にも信じてしまいました。

これが大きな過ちでした。

どうして、あのときに離婚届を出さなかったのだろうと深く後悔しています。

 

DVモラハラ夫から昼逃げを決行

それから7年後やっと子どもたちを連れて昼逃げし、調停離婚を経て離婚にたどり着いたのです。